薔薇の約束
先日 夫の母を見送りました。
コロナ対策と言われる中、昨年末から入院して
一度も会うことができないままでした。
半年どんなふうに過ごしていたか、今では想像しかできません。
訃報が届いたのは、企画していたコンサート本番の朝でした。
ちょうど宮古島の娘家族が初めて里帰りしていた日でした。
孫たちとも一緒にいれたのは、母もわかっていると感じました。
その日は大塚れなさんが歌う歌に合わせてライブペイントも控えていました。
「あお」という曲にのせて描きました。その時は空っぽで描いていました。
でも、友人の恵子ちゃんの詩の朗読、その後のれなさんの「誰よりも愛しい人」が始まると
大阪の母が、息子(主人)に対して抱いていた思いがばっと入ってきて、泣きながら描きました。
こちら側の勝手な想像でしかないのだろうけど、身内を見送った時、ああメッセージを送ってくれてるなと思った体験があります。
エリザベス・キューブラロスという女医さんの本で「人生は回る輪のように」という著作があります。
人は亡くなっても魂は存在していることを生涯かけて研究した方です。その最後の方に 亡くなったお父さんがあの世に行っても、魂として存在することを証明する薔薇の逸話があります。
そのことが印象的で当時、意識朦朧として入院していた父に「あの世から見ているとなった時は薔薇で教えてね」と心の中で伝えていました。
そんな話も忘れて父も母も相次いで亡くなって、残した家をどうするか悩んで、あるところに相談に行った帰りでした。
夕方公園を横切っていたら、公園のど真ん中に薔薇が一本落ちていました。
包装もされずひと枝。本当に綺麗な薔薇が一本。
振り返って拾おうとした時には、父へのお願いを思い出していました。
父が今の状況を見て知っていると、そしてOKサインを出していると感じました。
話は続きます。
私の父が亡くなって翌年、主人の大阪の父が亡くなりました。
絵を描く私を、応援してくれていた義父でした。
陶芸をして、女装のようないでたちで、ちょっとした有名人でした。
急な事で、夫と大阪まで車を走らせました。
お葬式も何もしない父らしいお別れでした。
福岡へは車で戻るしかありません。夫と交代で高速を真夜中運転しました。
大雨が降る中で、さすがに疲れて広島のPAで仮眠しました。
目覚めると、雨も上がり空も晴れていました。
ドアを開けて散歩でもと思い歩き出すと、PAなのに薔薇園があるのでした。
雨あとの滴が花びらに残り 朝日でキラキラ光り楽園の中にいるようでした。
薔薇園とわかった瞬間、豪快だった義父はドラマチックな演出をしてくれたなと思いました。
口下手で照れ屋だった父の一本の薔薇と
大阪人らしい義父の朝日に輝く薔薇園。
その人の印象は私の中に残り、亡くなった後も
メッセージや存在はあるのだと実感しました。
どんな風でかはわかりませんが、きっと存在する。
受け取る私たちが時々しか開かないだけのことかもしれません。
肉体はこの世での乗り物。
この世は一瞬でしかないのかもしれません。
とっても凝縮したこの世でのことでしょう。
薔薇が美しい5月6月、
この世とは思えない美しさです。