さとこ虫ブログ

イラスト制作を中心に活動する、さとこ虫ワールドを綴っていきます。

宮古島旅日記

旅日記 宮古島 2023 6/20~23

宮古島から戻ってきて、ずいぶん経った。
今回の宮古島は初めて友人と行った。宮古島に住む娘を中学の頃からよく知っているK子。2人の子を育てる娘家族に会わせる目的もあった。
今回のわずか4日間の旅で、体験したいところを、つめつめに入れた弾丸旅行だった。記録として時系列で書き出す。

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6/20㈫ 

午前11時 下地空港着。去年から移住した長男が迎えに来てくれる。
体験したことがない、95%以上!の湿度にやられる。
ちょうどお昼時、長女が働くお店デズリー に顔を出す。

 


大すきなお店、ウエスヤ さんでランチ。半地下の個室が夏感を出して、宮古島にやってきた安ど感。
グルメK子も大満足。混ぜそば、パクチーアジアンそば、発酵ジュース。
いつも人でいっぱいで、いつも美味しい。

 

ホテルでチェックインして、歩いて12分ほどのパイナガマビーチ

夏場の昼間、街中を歩く人はほぼ観光客だけらしい。紫外線対策ばっちりで海にも入らず、恨めしく見つめる50代2人、、(笑)


ちょうど、今日からハーリーという海の神様のお祭りということで、大漁旗カヤックの競技用みたいな練習があったりして、にぎやかだった。

夕方から、孫たちと一年ぶりの再会。息子が働く わとわ という居酒屋。

宮古島も、制限がずっと緩み、初めて来た頃のように、夜は人があふれる。

一番の驚きは、愛する3歳の孫息子が、ロン毛だったのが前日にバリバリの剃髪になっており、アロハシャツにマルコメという大変身をしていたこと。
そして、3年近く剃髪の警察官だった息子が、宮古島で日焼け、ひげ、のチャラ男に小変身していたこと。

 

そうして1日目は平良(ひらら)界隈で賑やかに終わる。

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21日㈬
2日目 今日はレンタカーを借りて大神島国立療養所宮古南静園に行く。

 

大神島へ向かうフェリー乗り場がある島尻漁港へ。
前回は誰もいない漁港だったのに、ハーリーが早朝に始まっていたらしく、島尻地区の方がたくさん集まって、海のお祭りで大変な盛り上がりだった。
島へ向かう10:20発の便で30名ほど入島していた。
私にとっては今回のメインテーマといってもいい大神島。しかも今日が夏至だった。
太陽の配置の極まる日に大神島とは。


この日も、30度は超えるような日。
船から降りて小さな浜で足を海につけると、体の熱が拡散されていく。
宮古島に来た実感。どこまでも透明な海水は大神島に入る浄化になった。

 

大神島は島全体がピラミッドのように中央が小高くなったところに、周辺を見渡せる遠見台がある。
汗だくで遠見台を登ると、池間島を目の前にして、その奥に橋で続く宮古本島が見渡せる。
古には島の安全を見守る高台に、どんな人がどんな思いで立っていたのだろうか。
正午になり、夏至の強烈な太陽を両手で受け止めて撮影。

 

島の海沿いの周辺を歩くが、勝手に入り込めない島のルールもあり3分の1ほど周回する。
きれいな海岸と奇岩、数少ない住人、島をめぐる逸話。

不思議なところで、ここに来ると細かいことは考えられなくなる。
島を離れるフェリーから、また来ますと挨拶をした。

 

さっき大神島から見た、最北端にある池間島の入り口までドライブ。

ここの橋からの眺めも海はエメラルドグリーンから、ブルー系のグラデーションが美しい。

 

南静園は、国内にある国立療養所の13園の中で最も南にある療養所だ。

パート先の職場の関わりの中で、今も療養所で暮らしている元ハンセン病の患者の方の存在を知った。
ボランティアのガイドの方に迎えられ、資料館内のみの見学となった。
宮古島でのハンセン病の起源、隔離された歴史、戦時中の想像できない体験、その後の国との関係、高齢になっても暮らしている園の方たち。その断片も知りえないほどの時間だった。

人は苦しみを生み、傷つけあい、悲しみに引き裂かれ、生きて死ぬ。
もし私がその場にいれば、隔離する側、される側どちらにもなりえただろう。
宮古島という楽園の島に、対極の地獄のような歴史があり、今もそれは息づいていることを感じる。

エアコンの利いた園から出ると太陽の光の強さに、暗闇から出て一瞬見えなくなるような感覚を感じた。
それは答えも感想もまとまらない、強烈な光と影だった。

 

平良まで戻りながら、食材を買い込み、娘家族の家へ。娘の旦那さんのご両親も移住されて、久しぶりの再会。
今日は私たちが夕食担当。料理上手なK子の唐揚げとパスタはおいしくて、子どもたちも大人もおなか一杯。

 

夜はホテルローカスに移動。
この日は体験が強烈すぎた。疲れは2人ともピークだったけど、暑さに慣れてきたし、場が合ってるのだろう。乗り切る自分たちすごい。

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22日㈭
朝はローカスの朝食でゆったり過ごした。暑さの地域ではフルーツやジュースをいつになく欲する。

今日はこの旅のもう一つのメイン、午後からのREEFKNOTさんコーディネイトの海ガイドツアー。
宮古島で環境の側面からもガイドしてくれる人がいると教えてもらって、早くから予約していた。

その前に午前中は道の駅みやこで 弾丸お土産三昧。勢いで大好きなもじゃのパンに飛び込んだつもりが3軒手前の店に間違って入って、K子爆笑。
ランチを食べる暇もない。カフェも、大すきなリッコジェラートも、サマー太陽まぜそばもすっ飛ばして、ファミマしかないコンビニで昼食を買って集合場所へ。

現れたガイドのたっちゃんは、元関西人、声がよく通りよく笑いよく話すファンキーでとてもまじめな兄ちゃんだった。
この50代チームもすぐにノリノリで、カヤックに乗って、秘境探検が始まった。
とある岩場での洞窟にて、島の様相、歴史、人、経済、環境などいろんな方面から、
宮古島の今に至るまでを語ってくれた。
それはたっちゃんから見えている島の側面でもあり、昨日の南静園で見聞きした出来事と重なった。

陰陽が強く濃く出る島は、まるで自分たちの国の縮図なのかもしれないと話した。
この時に、今回来た私なりの筋書きが見えた気がした。

深い話の後は、カヤックに2人引っ張ってもらい、シュノーケリング
珊瑚と亜熱帯の魚や生物の森のような世界を訪問。異次元ともいえる世界。海はこんなに豊かなのだと。
珊瑚の白化もあり環境の変化は、とても早くなっていると感じる。
ラストは、大神島を横目にゆっくりカヤックをこぐ。途中、ウミガメが横を泳いでいて感激。
たっちゃんのファミリーストーリーを聞きながら、波に浮かんでいた時間も忘れられない。

 

大大満足のツアーだった。でもさすが私たち。オチはある。
テンション高めで、たっちゃんと駐車場に戻ったら、若い男女が話しかけてきた。
「あの~~そちらの車にあてちゃったんです。」
みると私たちが乗ってきたレンタカーにうっすらキズが😰

それから事故処理、警察、レンタカー会社、保険会社。顛末はもう笑い話でしかない。

しかも帰り着いたホテルのロッカーのドアが二人とも開かない!スタッフさんに開けてもらったけど何故かは不明??

場面展開が早すぎる!
すったもんだで、娘家族との約束の最後のディナーの約束時間に遅れて、みやこパーラーハイサイに到着。

もうすべてが濃い過ぎて、おなかも減ってて、お酒も食事もおいしくて、子どももお店もにぎやかで最後の夜が終わった。

 

 

ホテルに帰ってパッキング。K子が、濡れた水着はスーツケースの中で気圧で膨れないか?って聞いてくる。「なるわけなかろうもん」と冷たく返した(笑)


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24日㈮
ああもう今日帰る日だ。二人ともさすがにしょんぼり。。
10時には娘家族が空港に送ってくれる。

咲夜、送ってくれると約束した息子は多分寝坊しただろう
下地空港はショップも充実していて、みんなでお茶したりできた。


さあ、お別れだねという頃に息子も到着。検査場でバイバイのとき、孫の唯丸が大泣き。いえギャン泣き。

え~~そんなに泣かれちゃ ばーばも泣いちゃうと言ってる横で、K子がめっちゃ寂しそうな顔でもう泣いてる。懐いてたしなあ。
子ども好きだしなあ。でも誰の孫やねん。おかげで、涙は落ちずにすんだ。

那覇経由の16:05 福岡着 すべての旅が終わった。

でも余韻感がすごくて、わざわざ寄り道してごはん食べてかえる。

 

やんちゃ時代の互いの第一子がやらかしてた頃からの付き合いのK子との宮古島
あの時の娘が結婚して2人の子を育てて、宮古島でしっかり暮らしているのを見届けたのを喜んでいた。
あの時の私たちは、今の旅を想像できないだろう。

短い期間で陰陽を味わえるだけ味わった旅だった。
残念だったのは帰りの時間を早めにしたので、沖縄の慰霊の日を感じれることがなかったこと。
濃い過ぎる旅は、答えはないだろうけど、数週間数か月して見えてくることがあるんだろうな。

係わってくれた皆さん、付き合ってくれたK子、留守の家族、宮古島の家族、職場の仲間、楽しかったよ。ありがとう。
今度来るときは、娘の旦那のカレーショップmosesucurryも新装開店してるかな?

 


PS 後日石鹸を送ってくれた glycerine queenのマキさん
農園のパッションフルーツを送ってくれたtenowayaのさわちゃん
 ありがとう。