さとこ虫ブログ

イラスト制作を中心に活動する、さとこ虫ワールドを綴っていきます。

2024年カードコラム「植物」

私の住んでいる市の山麓には、友人たちが営業をしている場が集まっている。そんな幸せな地域で暮らしている。

その中でも ことばや   という本とカフェをしているお店で「音楽と植物」というイベントがあった。その時のタイトル画の下書きのつもりで描いた絵だった。

私よりひと世代下の店主の彼女とは着物イベントも一緒にして、センスはあっぱれ。イメージが湧くとただそれだけで動く。

音楽と植物 というイベントでは、庭に生えてる野草たちを室内にいっぱいにして、コンサートがあった。ことばやは植物が似合う。

 

さりげなく描いた絵だった。きっとことばやの空間に馴染むだろう。主張もしない。だからコラムにしようにも絵からはメッセージはない。

でもそのそっけなさが植物そのものかもしれない。主張がないことで、でも何かを受け取れる。

ヒトもそうかもしれない。なんの気無しでいることで、必要な何かが交換されている。

意図がないことの方が、大事なことってあるんじゃないかな。

私たちは植物からまだたくさん学べるんだろうな。

2024年カードコラム「ろうそく」

モノには精神性が宿る。

彼女のオープン間もないお店に行ったのは、15年以上前になると思う。

片田舎にして、こんな素敵な雑貨と、店主自作のろうそくに感激して、前のめりに店主の彼女に話しかけていた。それに反して店主はカウンターから、最低限に答えてくれた記憶がある。とっても控えめな人だった。

そのお店 iroあかり という。

店主の文子さんは、私のやや多めの知り合いの中で、「変容」した人の 5本の指に入る。

シーズンごとにお店をオープンされている今は、会うたびにその間に出会った物や人、コトを新鮮に伝えてくれる。

そして何よりも、ろうそくというカテゴリーをアートの作品として昇華し続けている。そのろうそくは時に気迫さえ感じる。その姿は、アーティストとして毎回 刺激をもらっている。貴重な存在だ。

ろうそく もカレンダーもどこにでもあって、なくても生活できるもの。だけどそこに作者の日頃の変化を投影し、人様に受け入れてもらっている。ありがたい仕事だと感じる。

静かな時間を保ちたい時 彼女のろうそくをともして、次元を作る。穏やかな火は私のためだけにゆらめいている。

表現をする者の一部は、自分を整えることを責任として行うといいと思う。もしくは作品をつくることで、整っていく者もいるだろう。

 

 

 

2024年カードコラム「ワンピース」

このワンピースなどのイラストを見た友人から、こんな絵もたくさん見たい、と言ってもらえてこのカードシリーズができた。

こんなワンピースが欲しいとも言ってくれた。

ワンピースといえば、友人の名店 和草で「ワンピースの女たち展」が2度行われた。そのコンセプトが素敵で、いくつになっても女性であることの誇りや愉しさを味わうという印象深いものだった。そこからワンピースというものが、私にもさらに心地よい存在になった。

このカードを男性も引くかもしれない。その時は周囲の女性の、ちょっと無理して頑張るけど、周囲を思いやり自分のことを後回しにしながらも、どこかでバランスを取ろうとしている女たちに優しくして欲しい。

そして女のあなたが そのカードをひいたなら、女性らしいとは姿形ではないけれど、あなたの女性らしい可愛らしさと逞しさは共存できることを受け入れて欲しい。

 

2024年カードコラム「梅皿」

水彩絵の具や顔彩のパレットとして使う梅皿。

今回のカードは ほぼモノクロで描いていて、色をのせているのは2枚だけ。

ちょっとデッサンの歪んだ不恰好な梅皿。陶器は絵の具との馴染みがよくって、プラスティックのパレットと全く使い心地が違う。色まで違って見える(気がする)

薄藍の顔彩を溶いて、はて何を描こうと一呼吸している。

何を描こうと思わずに、色を置いた。その一瞬ってとっても大事ではないかな。描こうとしているけど、色だけ選んで空白。

焦って走り出さない。

描くことになるだろうけど、今はこの色に惹かれた自分を十分に味わっている。

 

 

2024年カードコラム「背中」

猫に背を向けられた。あるいは、猫のように背を向けた。

 

年齢を重ねると、どこまでが現実でどこまでが自分の想像なのか、境目がはっきりしない。今年の11月に起こった話。

着物イベントやその他の行事が終わった途端、家族がかかっていたインフルエンザにとうとう私も罹った。

今までの疲れも溜まってたらしい。家事も最低限で家の中は荒れた様子。

有難いことは5日ほどの待機を堂々とれること。そんな休憩時期に1番年下の猫が家出した。(先述のブログで仏壇で昼寝する子)

時々家の周りを遊んで、夕方帰ってくる子だけど、流石に各方面に連絡して探し出す。お腹も減ってるだろう。寒い中どうしてるだろう。たぬきに襲われてるのではないか。心配は続く。

すると5日目に帰ってきた。さっき家を出ました、っていう美しいままで。

その2日後、寝転んでる彼女を撫でながら、どこに行ってたんよーって話してたら、私の中に彼女のテレパシーで

「あのさ、猫のこと忘れるほど、必死になってやることってある?」「頑張ってても心を無くすまでする必要ない」

とはっきり意見がとんできた。

それは私の心の声だったかもしれないけど、ある人から言わせると 猫は住人の変化を鋭く読み取っているということ。

私を監視している彼女は、ちょっと気がついてほしい行動をとったのかもしれない。

足元を見ることを忘れて、人の期待や自分の心配で前へ前へ行こうとする時がある。そんな期待や心配に(自分で作ってるのだけど)背を向けて、今一度、今を呼吸をすること。

この年の瀬に改めて、毎日言い聞かせている。

 

2024年カードコラム「手」

年の瀬に家にいると煩わしくなり、直方市のカレンダーを置いてくださっている、このみ珈琲さんへ逃げ込んだ。

スペシャルティコーヒー豆を扱う、直方ではもう老舗のお店で、珈琲好きには期待を裏切らないお店だと思っている。マスターが一杯ずつ入れる珈琲は、格別。

 

カフェ、料理人、ヒーリング、看護師、職人さんなどの手が気になる。手を使う仕事。

ふっくらとして、厚みがありよく働くような「手」。そんな手を持つ人は手が物語る。

 

手にする、手渡す、手で癒す、手の仕事、

私の周囲でこのカードをひいた方からいろんなフレーズが想像できた。

体の一部でできる仕事ってすごいと思う。それがビジネスでなくても、手仕事とは素晴らしい可能性だ。

 

2024年カードコラム「和装」

今年2023年は着物好きが高じて(着付けは一向ににレベル上がらず笑)、着物に関わるイベントを2度仲間たちで企画しました。

なぜこうも着物に惹かれるのか?目立ちたがりということは否めないのですが、ある程度 自分で和装に慣れてきた頃から、周囲の着付け教室のメンバーしかり、着物愛好者しかり和装の時の「はっ」とする潔さにハマりました。

 

今のような面倒な着付けになったのは、明治以降とも言われてる(らしい)ですが、やはり何百年単位で日本人の体型に合った服装は、日本人のDNAを刺激するのではないでしょうか?

 

中には和装を纏うことで、過去の時代にいた自分をうっすら感じたり、初めて着付けてもらったとしても、懐かしい気がする方もいらっしゃるのです。

キモノは女性が「キリっ」っとしていた記憶や、雅な内面を思い出すのではないでしょうか?

和装が気になっていた方が、このカードをひいてたってお話も耳にしました。

和装でいた頃の自分が、何かを伝えてくるのではないでしょうか?